Marking*

「ライト、大丈夫……?」
「……悪い、ミサ……」
 月はベッドに腰掛けながら右肘を自身の腿へつき、その手のひらで頭を抱えていた。色素の薄い栗色の髪がくしゃりと波打ちながら、凛とした端正な顔立ちへ蒼白い影を色濃く落とし、彼の表情はどこか不安げに凍りついていた。ベッドの上からそんな月の後ろ姿をおずおずと窺っていたミサは、背後からそっとその均整の取れた上半身を抱擁した。
「ううん、ライトは何も悪くないよ……ミサはライトとこうやって抱きしめ合うだけで幸せだし……ミ、ミサもがんばるし」
「これはたぶん僕の問題だ……すまない……」
 月は微動だにしないまま、再度ミサに謝罪を述べた。彼はたぶん、と言ったがそれは確信が含蓄されたような声音だった。このような自信なさげな月の態度は非常にめずらしく、というよりもはじめて見せる彼のそんな態度に、ミサは内心動揺していた。『男の人は、体調や気分によって左右されることもあるって訊くし……ライトだって健康そうに見えても、ライトの……キラの新世界までもうひと踏ん張りのところで、いろいろプレッシャーとか感じてたいへんなのかもだし……ミサ頭悪いから、あんまり余計なこと言ったらもっとライトを追い詰めるかもだし、何も言わない方がいいよね……』ミサは月へ何か声をかけたほうがよいか悩んだが、悩んだ末、月を抱きしめる力を強めることを返事とした。


 5日後の金曜夜、魅上の住むマンション内の書斎に月の姿があった。魅上は3ヶ月ほど前に東京へ引っ越しており、近ごろ二人が顔をあわせるのは密会用のホテルではなく、もっぱら魅上の部屋でということになっていた。彼の部屋は引き払った京都のマンションの内装とほぼ同じ再現をされた部屋であり、書斎は硝子張りで、床も壁もコンクリートでできていることも相まって、どこか無機的な冷たい空気を湛えていた。月はいわゆるインテリア的なこだわりを持ったことがなかったため、彼の部屋がどのような内装だろうがどうでもよかったものだが、魅上はこれが落ちつくのだと言っていた。書斎には魅上がキラの裁きをするための机、その上にはPCモニターなどの電子機器、机の前の壁面には天井に取りつけた映写機の投影画面が浮かび上がっていた(これは主にテレビでキラの言葉が正しく発信されているかを確認するために使用されていた)。その机のいくらか後ろ側に、高密度のウレタンが使用された昏いワインレッドカラーのカウチソファと、硝子のローテーブルが置かれている。これは魅上が新居に越してきて新たに購入したものだった。彼らはこのソファに座り、話し込んでいた。
「ではこの事件の加害者はキラ反対派という報道がされていましたが、殺された被害者が、元々加害者へ強盗致傷を行っていた末の殺人であり、被害者のほうが問題が大きかったとして、情状酌量を、ということですね」
「ああ。取調べ内容を全て確認してきたが、反対派と言ってもこいつはなにか活動をしているわけではなかった……自分の事件に対する認識を警察に話しているうちに、キラの裁きの恐怖に駆られ、キラを否定する言葉を口走ってしまったと考えるのが妥当だ。こいつはキラ反対派ではない。むしろ、そのように歪んだ思想報道をした局宛てにメッセージを送る、二度としないようにね」
「新世界に住まう者の言論は自由であるが、他者の思想を歪めて伝播することはならない、と?」
 月の思い描くキラ世界――彼が新世界と形容していたため、いつしか魅上もそう形容するようになっていた――その新世界創生のため、魅上はなるべく月の思考を模倣しようとしていた。そして、裁きの基準に関してはもうほぼ完璧な模倣ができている自負すらあった。今回のことで、それはより確信に近くなる。魅上は、今回の事件のことはわざわざ月から直接伝えられずとも、キラならそう判断するだろうと元より感じていた。自分はキラの思い至る部分まで、独りでにも思い至ることができるようになっている――魅上はその感覚に恍惚感を抱いていた。
「まあ、そんなものかな」
 そんな魅上の思いになど決して至らない月は軽い調子で言った。
「局宛てのメッセージ内容は私が考えましょうか」
「ん……まあそれでもいいが、それなら必ずできた原稿を僕に確認させてくれ。新世界が目前だからこそ、キラの裁く道徳観、倫理観の細部の伝え方は大事な基準になって来るから、ここは慎重にいきたい。おまえは一度、更生した者すら前科で裁くという言葉をキラとして発信してしまっているだろう。何度もキラの言う言葉の含蓄が変わると、皆が混乱し疑念を抱く……犯罪者は全て裁く、では新世界の意味がない……僕の基準を明確にし、世界の住人たちを僕のコントロール下に置く必要がある。だから必ず僕に確認をしてくれ」
 自身の提案を、過去のことがあるからおまえ独りには任せられない、という内容で月から返事をされ、魅上は耳が痛くなった。過去のミスは既に理解し反省し、もう二度と間違わぬよう働いているのに、未だ万全な信用を神から得られていないのかと、胸に突き刺さった。
「わかりました。申し訳ありません」
 謝辞を述べ、沈黙する。月は小さくうなずいてから、硝子のローテーブルに置いてあった水を口に含んだ。
「話は終わりですか、神」
 月は魅上の問いに肯定も否定もせず、グラスを手に持ったまま黙っていた。魅上には一つ気になることがあった。
「今回の事件のことを私に手解きするために、一日早くいらっしゃったのですか? 本来、明日の予定でしたよね、お会いできるのは……別に、私としては何も困ることはないですし、うれしいですが……」
 月は目を合わせることなく、黙って魅上の声に耳を傾けていた。 
「今回の加害者を私が勝手に裁いてしまうと? ですがそれでしたらメールでも電話でも済みますし、私へ対面で何か早く伝えたいことがあるのかと思ったのですが」
 月から何も声が返ってこないものだから、魅上は違和を覚える節を次々と述べてゆく。魅上の中で違和感の正体の正解を見つけたいという思いが強まっていた。月はそんな魅上の様子を見て、この男はやはり察しがいいと感じつつも、まだ返事をすることはしない、というよりできないでいた。このとき、月は話の切り出し方に悩んでいたものだった。
「私の勘違いでしょうか? 神、話はもうないですか?」
 曖昧な、掴まえどころのない沈黙が、無機質な部屋に流れた。『気のせいなのか?』魅上は月の態度が理解できず、じっと見つめていたが、月は少しも魅上と目を合わせようとしない。そんな態度にじれったい思いが募り、魅上は月の両肩を捕らえて、自身の方へ振り向かせた。
「もうないのでしたら……」
 魅上は月に身体をすり寄せ、いつものように口づけを交わそうとした。が、月はとっさにグラスを持っていない方の手を互いの唇の間に挟み、顔を背け、拒絶の反応を見せていた。
「神……?」
「……やめたい」
「は……」
「もう、やめにしないか」
 何を、と魅上は零したものの、本気で月が何をやめたいのかがわからないわけではなかった。月は明白に、肉体的な接触を自身としたくないのだと言っている。高密度のウレタンが使用されたソファの硬めな座り心地が、変にいつもより硬くなったような錯覚がした。
「何故……?」
 魅上の問いに、月は敵意を抱えたような声で喉の奥から答えを出した。
「おまえのせいで性行為時に達せなくなっている……」
 互いの間に挟んでいた指先をゆっくりとおろしながら、月は視線を下のテーブルへ向け、目を細めていた。彼は魅上の顔を直視できないでいた。対して魅上は月の両肩から手を放すことはせず、苦しげな色を帯びた美しい顔貌を食い入るように見つめていた。そして、瞬間的に月の言葉を熟慮し、答えた。
「……そのようには見受けられませんでしたが……?」
「違う、おまえとのじゃなくて……ミサとの……」
 月のその答え方を見て、魅上は先の違和の正体に得心がいった。彼はこの話を自分にするために、今日来ていたのだとすぐに理解できた。
「ああ、膣内の射精障害ですか」
 平然とした感じで魅上が言うと、月の身体が強張ったのがわかった。その理由が怒りなのか何なのかまでは魅上は判別できなかったが気にすることはなかった。魅上は今し方、月から口づけを拒絶されたこと、そして、これから自身と肉体関係を持たないという約束を展開されるのだという先見で頭の中がいっぱいになっていた。しかし次には、いやに澄んだ思考になった。ソファが変に沈み込んだりしない、身体をしっかりと支える硬さに感じはじめた。
「なにか問題がありますか、それはつまり私で満足しているのでしょう。あなたが女を抱く必要はない」
 とげとげしく殺風景な顔をして、ひどく機械的に冷えた物言いで魅上がそう言うと、月は信じられないものでも見るかのような色と、理解が追いつかないような色が綯い交ぜになった険しい顔つきでようやく魅上を見やった。
「僕にはミサとの関係もある」
「それをやめればいいだけですよね」
 魅上は月が本来話したいであろう、魅上に答えて欲しいであろうレールに話題を乗せないよう努めていた。月もそれをわかっているから、なんとか自身の方へ手綱を握ろうとする。
「意味がわからない……ミサと婚約関係にある以上、そんな不自然なことを」
「意味がわからないのは神の方です。そんなに弥との性交渉が必要なんですか」
 魅上が生来持つ極度の二元論者的論調で責め立てられ、彼特有の排他的な世界観にからめとられる気配が月の肌を撫で上げ、おぞましく不快な気持ちになった。『そんな話じゃない』内心で顰蹙しながら、持っていたグラスをテーブルに置く。
「……僕の今の状態は病気だ。健全ではない……治さないとならない……僕は健康に生きて、長生きして、この世界を導かなければ」
「そこに女を介在させる必要性はないでしょう。女に対してだけ射精障害なら、生命的な健康と無関係では?」
「……そうだとしても、今の状態は、僕の精神的にも不健康になり兼ねない……これは、男としての尊厳的な……普遍的な問題だ……こんなことを言わなければわからないのか」
「ええ、全く理解できません……何故神がそんなことを問題視するのか。私は一度たりとも女と肉体関係を結んでいませんが、尊厳的な部分を問題視したことなどありませんよ」
 『人間的な生物の価値観を持って話をしていないから、こいつの論理に隙がない……』月は魅上の理屈は異常者の屁理屈だと思った。『だって大体おまえ、僕を抱く27まで童貞で恋人も友人もいない、弩級の壊れ者だったし……』生来の気質として友人や異性関係が広かった月とは対照的に、魅上のプライベートな交友関係はゼロであった。最悪恋人をつくらないことは理解できるが、10代のころに形式的な友人すらいないというのは月にとって考えられなかった。遠くで魅上のような変わり者を見ている分には興味深く好感も抱くが、こう近くで異常者の論理展開をされては、いわゆる世間一般常識とのギャップを感じ、月の中の価値観が直接的に殴られたような衝撃を受け、くらくらした。
 強情で頑固な目の前の生き物をどう納得させればよいのか、月は考えれば考えるほどに不可能だと感じはじめる。魅上は自身の排他的で不寛容な部分を、己の価値の軸としている部分がある。だからこそ、この堅物ぶりを発揮し、時には非常に役に立つのだが、斯様な気持ちの問題、、、、、、というような部分を認識させたい場合はひたすら鬱陶しいだけであった。
 月がいくら生物の感情的な部分を諭そうが、魅上には理解できないだろうし、魅上の中で納得できる理屈が通らない限り絶対に首肯させることは叶わないだろう。だからこそ、この男は裁きを任せた最初のころ、犯罪者たちの情状酌量の余地を考慮できないでいた。しかし裁きの方は、月の築く世界の価値観に沿うのが魅上の第一条件であったから、修正するように言いつければ言うことを利いていた。だが今回は話が違う。梃子でも動かぬ気配すら漂わせている。
「おまえからしたらわからなくて当然かもしれないが……」
 月は魅上の説得は諦め、自身の要求を呑ませることだけを目的としようとしたが、そこへ魅上が食い気味に言葉をかぶせる。
「神が他者との性交欲がないことは知っています。ですから、神が女を抱く必要性など本来ない……弥は第二のキラだったとは言え、今はその記憶も、目の能力もない……それはつまり現在の神と弥の間にはなんのしがらみもないということです。キラに尽くした褒美として弥に愛を分け与えていたのでしょう?……だがあの女は今、恋人としてあなたに尽くしているだけで、本質的にはキラへは尽くしていない。記憶のない弥にあなたがキラであると伝えているにしても、それはキラに尽くしているのではなく、恋人として尽くしているだけでしょう? 今の神の目は私です」
 弥との関係を切ってもいいだろう、ということを鋭い目つきで魅上はひたすらに訴える。いくら対抗意識を燃やしている相手のことだからと言っても、実質的に月のプライベートな人間関係にまで口を出している魅上の姿は、立場上、出過ぎた真似をしていた。堂々巡りの話し合いに、月の中で無性に苛々とした気持ちがこみ上げてきた。
「しつこいぞ!……そういう問題じゃないと言っているんだ」
 月は厳しい口調で言い放ったが、魅上はまるで意に介していないようだった。
「……私の考えを述べます」
 魅上は月の肩から手を放したが、代わりに月との距離をもっと近くに詰め寄った。月は、魅上は自分が彼にしようとしていたように、こちらを説得でもするつもりなのかと何の気なしに考えた。
「神は女を軽蔑していますよね? それなのに、未だに弥と性交渉を行うつもりなのは、子を設ける目的、それ以外に考えられないのですが……弥との子孫を残すおつもりで……? 神が女に価値を感じる部分があるとすれば、それは唯一女のみが子を為すことができる生物であるという点のみでしょう」
 魅上なりに月の理屈を考えたらしい妄想の仮定話だったので、月は無表情のまま無視した。先ほど自分が話した内容以外に答えはないというのに、魅上はどこまで勝手な考えを巡らせているのだろうかと思うが、いちいち相手にする気にもならなかった。魅上は構わず話をつづける。
「ですが、それはないですよね。何のために?……あなたに家庭を築くなどとそんな価値観があるわけがない。ならば、キラの後継者育成のため? しかし子が親の思想を引き継いで生まれることがないことは身をもって、私たち、、、は理解しているはず……それならば子を為すよりは、あなたの思想に近い信者へ託すほうが合理的であると理解している。そして仮に神が何か目的のために子を為すことがあっても、あなたは弥を選ばない。容姿を重視するならばあり得る範囲でしょうが、神は他者の能力を評価する上で容姿に重きを置かないでしょう。そのようなあなたが子孫に求めるのは恐らく知能……知性は遺伝しますから、やはり弥と関係を続ける理由がない」
 魅上の『あなたを理解していますよ』というような、そして『私たちは同じ価値観を共有している同士のはず』と言いたげな話しぶりがやけに月の鼻についた。すべてが間違いなわけではない、しかし、これまで感じたことのない形の不快感が月の身体全体を煽る。根本的に月と魅上の思想や性格的な部分は、結果だけ見れば重なり合っている部分が多いものだが、その結果に至るまでの各々の過程は全く異なる部分があり、その相容れぬ落差は激しいものだった。月は自身の価値基準と異なる父や母、妹のことを排除するべき存在であるなどと悪く思うことはなかったが、魅上は自身の価値基準と異なる母親を、排除されても仕方のない存在、しかもその母の死について奇跡体験かのように恍惚感すら覚えているのだと気づいたとき、月は魅上のあまりにも排他的な思考に驚いたことがあった(そのうえ、魅上はそれがキラにもたらされた正義なのだと思い違いをしていたが、月はこの件について触れることはなかった)。
 だから、魅上が自分へパーソナルな部分を重ねた言葉を吐くのは、月にとって強い不快だった。奥底にある深い部分に狎れなれしく侵入されたような、そんな不快感だった。『仮に結果が同じ選択であったとしても、おまえと僕の思考過程は違う……僕とおまえは、そこまで同一視できるようなものじゃない』月は自身とずれている価値観の部分はずれているのだと、その自覚をはっきりと問題意識として魅上に持ってほしかった。魅上にこのような増上慢な態度がある以上、やはりこの男に裁きを全幅に任せることはできないと月は改めて感じた。しかし、これは魅上の性格的な部分だから、月の望むように魅上が思い直すというのは永劫無理だろう。月はそこまで思い至り、改めて世界を自身の理想通りに、独りで正してゆくという重い使命は、常人には考えられないほどの体力が必要だなと自嘲的な気分になった。『キラの代理として、駒として動く分には飲み込みも早いし優秀な男だが……やはりこいつは駒どまりだ。まあ僕みたいな人間が早々いるわけもないから、贅沢は言っていられないが……。いや、というか実際僕みたいな人間がいたとしてもキラ崇拝者として目の取引までいかないし、僕が求めている存在はそれこそ偶像的な理想か……』月はいつの間にやらすっかり新世界創生に関した思いを巡らせていた。『そう考えると、魅上はやはり崇拝者の中ではかなり僕に、理想に近い……』ふと、そんなふうにぐるぐると思考を馳せていた月は、夢から醒めたように現実に戻ってきた。
 なんの話だったかと一瞬考え、何か魅上がミサに対抗意識を燃やしてだらだらと話していたなと一笑に付した。
「魅上、僕についての心理学者ごっこは楽しいか」
 月は魅上との会話が唐突に面倒になったので、ぶっきらぼうに切り上げようと思った。新世界のために、こいつだけにかまけているわけにはいかなかった。魅上が大人しくキラの仕事を肩代わりしてくれているだけならその仕事ぶりに文句はないし、月の負担軽減に貢献しているのは間違いないから、月だってもっと魅上へ好感しか抱かなくて済むというのに、何故こんな面倒な、余計な問題を引き起こすのか月は魅上にジレンマを抱えた。何故、皆、ビジネス上の友好関係だけで満足できないのか……。
「楽しくありません。ですが私を納得させてほしいのです……あなたが女を抱く必要性は何なのか。何か異論があるならば答えを」
 ほんとうにしつこいな、と月は苛々するが何か言っておかなければまたべらべらと納得しない魅上が話をしはじめるので、別の方向へ話題を逸らそうと考えた。
「おまえが僕を抱く必要性もないじゃないか」
「あります。私は神を愛し、神に求められたい」
「………………」
「神にも同じ軌範で生きていただきたい」
 はあ、と月は思わずため息をついてしまった。この堅物は言わなきゃわからないのだろうから言ったほうがいいのだろうか。というかもう心から面倒くさい、早く話を切り上げたい、月はそんな心持でいっぱいになった。
「……気持ち悪いよ、魅上」
 月からの中傷に魅上は一瞬瞠目したあと、うわずった声で口を開いた。
「何がですか……」
「もう十分だ。おまえとの肉体的な関係は金輪際解消するという話だから」
「嫌です、理由を教えてください。何故ですか、神、何故……私は無理な要求をしているわけではない……」
「僕の身体が正常でなくなるのは耐えられないと言ったはずだ」
 月が厭きあきしたような心底冷たい目を魅上に向ける。魅上は月の言動に心臓がひしゃげ、思わず悲痛な表情をうかべた。魅上は何故、月が自分との肉体関係は易々と断ち切ろうとするのに、明らかに足手纏いな弥海砂のほうとは関係を続けようとするのかが微塵も理解できないでいた。それは明確に、性別での区切りだとしか思えなかった。それは魅上にとって多大な屈辱感を与えた。『私は、弥にも、どのキラ信者にも劣っていないはず……』ひどく混乱しているような魅上の様子を、月は少し哀れにも思った。極度の潔癖で理屈っぽい機械のような人間である男が、キラにだけはひどく人間的な熱情を向けるその生物としての歪さは、心底不可思議で、されど人間の縮図のようなものを感じさせた。
「何故私に貞節を尽くせないのですか……私には神だけです……」
 月は魅上の態度にぞわぞわと嫌悪感が募った。こいつは自身とキラの関係をなんだと思っているのだろうか――思い上がりが過ぎるのではないか――何か言ってやりたい心持が湧いたが、それよりも月はこの場をさっさと立ち去りたかった。
「だからもう話すことはないって」
 月は面倒くさそうに立ち上がろうとした。が、魅上がすばやく強い力でその腕を掴みかかり、月は中腰の姿勢でとまってしまった。
「嫌です……」
 ぎり、と魅上の拳に強い力が籠められる。長く重い魅上の前髪がその顔にかかり、一体どのような表情なのかは月からは窺えなかったが、男の中で変なスイッチが入ったのだと理解し、月の脳裏に本能的な忌避感が貫いた。
「何をする、放せ」
「嫌です……私が、不要なんですか……」
「……そうは言っていないが……」
 魅上の極度な思考は病的だと思った。固い意志を感じる異様な力強さの引き留め方に、月は腕を振りほどこうにも振りほどく術がなく、焦りを感じはじめていた。魅上は力を籠めたまま立ち上がり、髪の隙間から覗く赤い眼光で、どこか怯えているようにも見える澄んだ瞳を射すくめた。
 そして、噛みつくように月へキスをした。
「ッ!? やめろって!」
 身体を捩り顔を背ける月の肩を、魅上は空いていた方の手で握り、強制的にもう一度自身のほうへ向き直させる。月はぎりぎりと籠められる、魅上から与えられる痛みを感じ続け、腕にも肩にも赤い痕がつくだろうと思った。
「放せって……言ってるだろ……」
 握られている感覚だけで腕力では敵わないことが理解できてしまうために、月は魅上にこの手を解放してもらうしか手立てがない気がしていた。しかし、魅上はそんな月の要求を飲むことはなく、彼を見据える。
「脱いでください」
 魅上の追いつめるような言葉に、月の頭は瞬間的にフリーズした。
「おまえほんとふざけるなよ……」
 その返事を聞くや否や、魅上は口を噤んだまま月のシャツに手をかけ、引き裂くようにボタンをはずしにかかる。月はそんな魅上の様子に驚愕の表情をうかべ、さっと身体が硬直していた。その一瞬の隙を見て、魅上は月をカウチソファへ押し倒し、彼の上に馬乗りになった。
「っ魅、上……! ほんとう、なん――」
 月はキラのしもべである男の態度を糾弾しようとしたが、上から視線を注ぐ呪わしげな魅上の表情を見て呼吸が止まった。完全に怒っている。ぞっと身体にふるえが走った。性的な関係を断られるというのは、そんなに嫌なことなのだろうか。一般論としてそういうことらしいのは理解はしているが、常に女から求められる側の立場であった月には、肌感覚としては一生わからない、想像もできない感情だった。しなくていいならしたくない、そういう温度感でしか月は性交を認識していなかった。
「な、んだよ……そんなに、僕とのセックスって必要か……? どうでもいいじゃないか……」
「どうでもいいのであれば、あなたが弥との関係を切ってください。どうでもいいのなら、それでいいでしょう。私にとっては、あなたと弥の男女関係のほうがどうでもいい、不要なものですから」
 魅上の返事は理屈上もっともなものであったが、やはり月がそう割り切れないのは、自身と魅上が男同士の関係であることにあった。魅上は絶えず自分一人と性関係を結べということを要求しているが、月は本質的に何故、魅上と男女関係のような肉体関係を築かなければならないのか理解できないでいた。仮に魅上が女のように自分を求めて来ていれば、これほど理解できないこともなかったかもしれないが、魅上は完全に男として月を抱きたいと求めて来ていたので、これが月を混乱させた。月にとって、男の立場として女を抱くのは単なる作業だった。それを魅上は自分に対してしているように見えるので、何故、この作業をすることにこだわるのか全くもって意味がわからなかった。同じ男なのに性交に関して、まるで相容れぬ価値観を持っているのは間違いなかった。
「私はあなたとの関係を持つことが至上命題ですので」
 一向に弥海砂との関係を断ち切ると簡単なひとことを言わぬ月の様子に、魅上は苛立ったように乱暴に彼の胸部をくつろげると、その薄く色づいた乳首を指先でくりくりくりくりと幾度も執拗に弾いた。
「ぃ、やっ…やめろ!」
 胸部で快感を受けることをとことんまで憶え込まされた月の肉体は、それだけで腰をのけ反らせ、いとも容易く下半身を勃起させてしまった。
「ふざけているのはどちらですか? こんな身体で女を抱く気なんて嘘でしょう、神」
 魅上が腹立ちまぎれな哄笑を含ませながら、月を嬲り出した。明らかに月へ屈辱を与える目的でしかない言動をする魅上へ、月は驚きや怒りとともに地獄の底で炎に包まれたような黒く熱い感覚に炙られる思いがした。
「おまえのせいだろ!? だから、僕はこれがもう嫌なんだって……!」
 魅上から与えられる性行為は、月のこれまでの身体を作り変えはじめていた。刺激が通常の性行為より強いものが多く、偏執的な魅上独自のアブノーマルなやり方もいくつか試行されていたため、これ以上、与えられるばかりの魅上との行為に慣れてしまっては、ミサだけでなく他に女と寝る必要が生じた場合(つまり男として相手へ与える行為をしなければならない場合)、自身が使い物にならなくなる危険性をはらんでいた。はじめは与えられるだけの魅上との行為は気楽だとさえ考えていたが、これに慣れてしまった身体がこれほど男として与える側に回れなくなるとは、ミサとの一件が起きるまでは考えてもみなかった。月にとって、男として女に求められることは武器の一つであり、これを失うことは人生で一度も経験のしたことのない忌避すべきものだった。少なくともこれから新しく関係性を築く女ならば元から性交渉を経ずとも、話術と容姿だけで関係を築ける自信は最悪ある。しかし、ミサのような、これまでの自身の通常だったころを知る女に、不能になったなどと思われるのは月のプライドが絶対に許せなかった。
 ぢゅうっ、と魅上は歯は立てないが、強く噛みつくように月の乳首を乳輪から吸い上げる。びくんっと月の身体が過剰に反応を示し、その腰が跳ねる。いやだ、やめろ、その言葉だけを月は繰り返す。月の胸部を舌先や口全体で愛撫している間に、並行して魅上は月のベルトとスラックスのボタンを外した。左脚をソファに、右脚を床に置いて、馬乗りから少し自身の身体を浮かせ、魅上は足の間で仰向けになっている月の腰を両手で持ち上げてから、そのスラックスを下に脱がせ、再度月の膝上に馬乗りになった。月の下半身は灰色の下着越しに高くもり上がりを見せ、その布へ先走りの染みをにじませていた。魅上の中で月への愛しい想いが無性にこみ上げた。
「こんな乱暴にされて悦んでいる」
「違う……!」
「神、男の性器は状態でわかってしまうから滑稽ですよ。そんな嘘を言っては……」
「ち、がう……これは、ほんとうに、身体の勝手な生理現象で……っ、ほんとうにいや、だ……」
 月の浮かべる表情は、言葉通りほんとうに、真実嫌そうであった。魅上はそうですか、と言いながら月の下着もさげ、その陰部を露わにする。つつ‥、とその粘液が下着に糸を引いていた。
「ああ、こんなに濡らしてしまいましたが、あとできちんと洗濯もしますし、乾くのが待てないのであれば新品の替えもありますから心配は無用ですよ……それにしてもまだここしか触っていないのに、こんな……」
 言いながら魅上は再び月の乳首を指先で上下にいたぶると、眉をしかめながら月は目を瞑って懸命に歯を食いしばり、その紅潮させた芳体を捩らせながら、ろくな抵抗もできずこぷこぷと陰部の先から透明の汁をこぼしていた。『神がどれだけ声を我慢しようが、身体がこんな態度では大した意味を為さないのではないだろうか』月のそんな有り様がかわいくて、おかしくて、魅上は思わず喜悦で口角をあげた(月は目を閉じていたので、そんな魅上の様子は知らなかった)。
 月の胸部をさんざんいじって満足した魅上は、次に彼の後ろへ手をかける。
「ぅあ…っ!」
 魅上の中指が無遠慮に月の穴に突き入れられた。
「ほらもう肛門性交を習熟して、こんなにも容易く私の指を迎え入れる体内になっている」
 ふやけた腸壁へあっさりと指を侵入させると、魅上は既知の箇所へ的確に指の腹を押し宛て、そこをかりかりと掻き回した。開発され切った前立腺をいじられ、思わず月の先端からだらだらとカウパー腺液がこぼれだす。
「ぁ、ぁ、あ、…いやっいやだっ……いやだ……っ!」
「嘘ですよね。今日も私に抱かれるつもりで来ているのに、私を拒絶して……男としての尊厳を取り戻すために私を見棄てて、女とこれから寝る? 馬鹿にしないでください……」
 魅上は月へ怒りと愛しさを混在させた声で責め立てる。
「私と顔を合わせずに、言う選択肢もあったでしょう?……なのにここに来たということは、神も私にこうされることを望んでいるのではないですか」
 責められながら後ろでの性感を与えつづけられ、月は頭をふるふると横に振り、声にならない拒絶反応を示し、魅上はもの言いたげな月を観取して一旦掻き回す指を中に入れたまま止めた。それを受けて月のペニスが切なそうに揺れながら、彼は、はっ、はっ、と短い呼吸を整える。
「た、対面以外で伝えても、おまえ納得しないだろ……電話で言おうが文書で頼もうが、おまえ絶対、会って訳を訊かせろとか、むしろこっちに会いに来て、訳を迫って来るだろ……! どっちにしろ僕の顔を見て、納得できるかどうかにまずこだわる……」
「…………そうですね、正しいです。さすが神は私のことをよく見ている……」
 意地の悪いことを言って申し訳ありません、と述べながらも魅上は行為をやめる気はないらしく、入れていた指を二本に増やした。むしろ月がきちんと自身の性格を見越していた事実は、魅上の中で妙な満足感を湧かせ、機嫌が少しなおった。
 二本の指で前立腺への刺激を再開させると、月が低く唸っていた。こんな身体になって性感を受けることが、極めて精神的に苦痛らしかった。魅上にとって月のどの部分を刺激すれば彼が悦ぶのかはもう熟知していたので、このしなやかな肢体を絶頂に持ってゆくのは容易だったが、あえてポイントをずらしたり的確に宛てたりして焦らした。呼応するように月の腰が浮いたり沈んだりしていて、かわいかった。
「み、魅上……っ、ほんと、も、やめてくれ、後ろじゃいやだって……!」
 段々とこみ上げてくる射精感に焦ってか、月がねだるように魅上に訴えた。月は男性器を刺激して普通に、、、イきたいらしく、後ろの愛撫をやめてほしそうだった。魅上はその様子を黙って眺めながら平然と行為をつづけるので、やがて月は赤らんだ顔でぎりぎりと歯を軋ませ、腹立たしい気持ちを押し殺し、自身の性器へ手をかけようとしたが、魅上がその腕を取り制止させた。
「駄目です、神。後ろだけでいけるんですから」
「あっ、やだって……!」
「前を触るのも私のタイミングでさせてください」
 魅上のタイミングというのは、ここ最近いつもされていたことで、月はもうその魅上の言葉だけでこのあと何をされるのか予感できてしまった。
「だから、それがいやだ……って――ッ!」
 言葉をさえぎるように魅上が前立腺のピンポイントだけを擦りあげてゆくと、月は息を飲んで、その陶器のような顔立ちを苦悶とも快楽とも言い切れぬ温度感でゆがめ、太腿や腹、骨盤の筋肉周辺をわななかせた。あ、あ、と短い声を紡いで、玉のような汗をその肢体にいくつも浮かべる。身体の中で疼くものを刺激される、強烈な射精感が月の中にこみ上げて来る。
 魅上は先のことを予見し、折り曲げた左脚を月の右腿から腹部あたりへ乗せ、月の身体を抑え込むように重しとした。そして絶えず指の腹で月の悦がるところを刺激してやると、ついに絶頂にうねる動きが来た。
「っ、ぁ、ぁあ、ああッ…!」
 月が嘆くようにぴゅくぴゅくと射精する姿を見て、魅上はすかさず左手で握っていた月の腕を放し、その手で彼の亀頭を手のひらに包む。グリップを強めて手のひらを窄めながら、その先端を執拗にじゃこじゃこと上下左右に擦りあげてゆく。
「ア゙、ふ、っぅ、ぅああぁッ…――!!」
 射精が終わってもなお前立腺を圧迫する刺激と、亀頭をすり潰すような刺激を魅上に与えつづけられ、月の骨盤底筋あたりの筋肉が強く収縮を繰り返しはじめる。その苦痛から逃れようと月は暴れるが、魅上はそれを左脚や身体全体の体重でうまく押さえつけながら徹底的に行為を継続する。外部刺激によって強制的に引き起こされる筋肉収縮によるポンプ運動で、月の膀胱内の尿が吸い上げられてゆく。月は凄絶に目を見開いて美しい声を張りあげた。
「あっ、あっ、漏らす……!」
「どうぞ私の家ですから存分に」
 魅上の言葉とほぼ同時に、月は情けない絶叫をあげながら尿道口からぷしゃぷしゃと勢いよく潮吹きをした。射精と放尿を一度に経験しているかのような放出感が月の身体に駆けめぐり、腰ががくがくとふるえてとまらなくなった。ふるえる腹には月自身が噴き出した無色透明な液体がかかりきって、腹筋のあたりを誘い込むように濡れそぼらせている。
「全く、びちゃびちゃですよ……見てください、神」
 魅上は自身の左手にかかった月の透明な液を嬉々として舐めとりながら、困りましたと言わんばかりの物言いで眉を下げていた。そんな魅上の態度は彼を陰湿に責め立て、一種独特なじめじめとした恥辱感を月の中に生じさせた。
「いやだ、って……いやだって……僕は言っただろうが……っ!」
 月はふるえながら大きすぎる快楽の余波と絶望感に泣いていた。
 近ごろ、魅上は月にこの潮吹き行為をさせることをえらく気に入っていた。さらさらとした無色透明な液体が月から勢いよく噴出される派手な姿に、人体の神秘のような、また霊的な、神聖なものを感じるらしく、非常に好ましい姿らしかった。魅上はこれを「崇高だ」とも形容していた。
 月は魅上のこういったアブノーマルな行為が、自分の膣内射精障害を引き起こしているとしか思えなかった。刺激が強すぎるのだ。この行為をするには、いつも射精後に魅上が月の亀頭を強く擦る。そのときの魅上の手は、そもそもかなり強めに握ってきている。身体がどんどん、この男にしか与えられぬ強い刺激に慣れていって、普通の男女の性交では性感を感じられず、絶頂できない身体にされてゆく。自分の身体が自分のものに思えなくなって来ている。そして、魅上はわざとそうしているのではないかと月は感じはじめ、怖気をふるって身体を竦ませた。
「……っ、気持ち悪い、こういうの、ほんと、も、やだ……」
 がくがくと腰がふるえ、また、魅上が上に乗っかっているために立てないでいる月だったが、それでも目の前の狂人から距離を取りたくて身じろぎした。魅上は下で動く月のようすを切れ長の目で見下しながら、言い聞かせる。
「なら私以外の者との性交渉は金輪際おやめください、それならば色々とこちらも考え直します。あなたの要求だけを聞くわけにはいかないでしょう、あまりにも公平性がない。あなたの目は私です。第一に私を見棄てるのはあり得ない。本来ならば、あなたと私だけで完結するのが正しい姿です。二者間で与え、与えられる……本来それだけで充分のはずです。私は神に悦び、神を悦ばせることができる」
 魅上はほんとうに、心底から月の尊厳を奪っている自覚がないらしかった。月は人間相手に話している気がまるでしなくなり、思わずさあっと血の気が引いた。
「何を言ってるんだ、魅上……? 僕は悦んでいないし、怖いんだって……ここまでされると、身体を壊されて……」
 何か魅上に対して急激に畏怖の感情が強まったので、月は無意識のうちに生存本能にてられて、少し説き伏せるような、どこか優しい語り口調になった。
「壊されるってなんですか?」
 魅上はまるで学生が教師に質問でもするかのような純朴さで月に訊ねた。
「だからずっと言ってるだろ、普通じゃなくなってるんだって……! おまえのせいで、僕の身体が――」
「破壊ではなく、むしろ再生でしょう? これは……本来神の中に眠っていたものを引き出し、覚醒させているに過ぎない。であるならば神の普通、というものは本来こちらが普通の状態であるかと。私はあくまでその役目を、この儀式を許された立場であるのですから、感謝しています」
 本気で言っているのか、そういうていにしてとぼけているのか、月は魅上の態度がわからなくなってきた。会話になっていない、泥にやいとという状態だった。
 元々魅上を使えるキラ崇拝者だと直感して選んだものの、改めてこの男と会話をして知った事実として、魅上は自身が創り出した神を、偶然にキラへ当て嵌めているという一種独特なキラ崇拝者であった。故にキラへの想いに魅上が歩んできた人生特有の解釈が乗っかり、他のキラ信者とは一線を画している存在であると月は知った。キラが犯罪者を裁く神、新世界の神であるという以外に、魅上照の人生を肯定し、魅上照を救う存在である神だと考えている。だから、魅上にとって、夜神月は、魅上照を救う存在であるから、魅上が求めることは実質的に夜神月も求めているに違いないと、救ってくれるに違いないと、半ば同一視して錯覚しているのだろうか。故にここまで話が通じない。夜神月が個人の人間であるという発想がまるでないようにしか見えなかった。そうだ、これほどに一個人の尊厳を軽視し、こちらの要望を何ひとつ訊かないという態度は、神のしもべとして有り得ない。自身も神と同じ立場だと考え、感覚や運命を共同させる存在であり、夜神月は一個人ではなく彼の中の神という概念が人の形を為した産物だと、そういう認識を持っている可能性すらある。すべては許されると思っているのだ、自分が許しているから神も許していると、同じ気持ちだと、そう思い上がっているのだ、と月は感じた。
 だが、魅上の想いを成し遂げるということは、それは月にとっては魅上専属の存在にされるということだった。――私の神……――魅上が時たま月へ向かって零す言葉だった。魅上のグロテスクな精神構造へ想到した月は、自然と魅上の顔へ目線を動かしていた。上から見下ろしながら薄く微笑をうかべ、その長い黒髪の隙間から恍惚をにじませた赤い目が、不遜かつ健気に月を見つめていた。月にとって、やはり破壊者でしかないおぞましい存在が魅上であると身をもって意識すると、明確な恐怖を自覚し、月はぞくりと肌が粟立った。
「神……」
 魅上はねばっこく視線を交錯させてから、月の目尻にうかぶ涙へ舌を這わせた。『ああ、きれいな顔だ……』まさに全ての事象の上に立つ者にふさわしい完璧な神の姿に、魅上は時おりその実在を幻覚ではないかと疑うような心持さえ生じていた。この存在に触れ、ほんとうに実在するのだと感じるたびに、甘美な眩暈を覚える。舌先の流れのまま、月の額にうかぶ汗や首筋へも這ってゆき、魅上はうれしそうにその舌で月を味わっていた。神の味は、酩酊したような、頭がぐらぐらする陶酔感を呼び起こす。月は鳥肌を立たせたまま、顔をワイシャツのように真っ白にさせていた。
「……や……」
 魅上にあらゆる感情をかき乱される。月は蛇に睨まれたように、胸が苦しく、頭が熱く、痛くなった。本来、魅上を受け入れることができれば、この男は何も怖い存在ではないはずだった。だが、受け入れられない……『切り離すには殺すしかない』『こいつを選ばなければならないのか』『早くノートに名前を書かなければ』『裏切ることのない理想の駒』『殺す以外に切り離せない』『僕に愛されたいことは痛いほどわかった』『話し合いが通じない相手だ』『優秀で忠実な味方のはずだ』『殺すしかない』『何故こいつを殺す決定がすぐにできない』『僕がこいつの神でい続けられるなら』『何故僕がこいつにここまで』『殺す損害の方が大きい』『こいつをある意味信用している』『どうすればいい――……』月はひどく混乱しはじめていた。魅上に骨の髄から調伏させられるような感覚が月の細胞の奥底から湧き上がり、そして支配された。
 ふと魅上が月のてらてら光る臍周りを、腹筋の窪みに沿わせ、指先でなぞった。彼の筋肉はまだ痙攣を引きずっている。ぴくぴくと揺れるそんな月の腹がとても愛おしいと思い、魅上は心が弾んだ。『私の敬愛も、情愛も、嫉妬も、すべて神に与えられたものだ。だから、私の愛はすべて神のもとへ還るのだ……神に恋も、愛も教えられた、神は私のすべて……神を愛している。ずっと前から……神が私を選んだのだ。気紛れに私へ身体を与えたわけではない、求められている。神は私に昇華の儀式をさせ、快い気分を与える。誰も、私ほどの立場になれる者などいない。なのに私を見棄て女の方に行くなどとそんなことを言い出したのは試練なのか……? ほんとうにどういうつもりなのか……神の胸中がわからない、不安になる、許せない……ああ、神、神を愛したい』魅上は逸ったように勃起した男性器を取り出して、月の入り口へぬりゅぬりゅと存在を知らせるように擦りつけた。海綿体が更に膨張し、硬くなる。月の身体がかた‥とふるえ、小さく声にならない声をあげていた。
「……入れますよ、神……」
 魅上は恋する乙女のような声音で言いながら、ぐっ、と月の中へ大きな欲望器官を押し込んだ。
「ひ、ア゙あ゙ぁッ――……!」
 何度銜えさせられようが慣れることのない極大な質量に、毎回月の身体は絶叫をあげていた。いつも入れるたびに悲痛な声をあげる月を見て、魅上は自身の太茎の大きさが申し訳ない気持ちになっていたが、今日は月に不安にさせられた分、胸がすくような思いだった。
 最奥の壁までごつごつと先端をぶつけると、月は息をするのが苦しそうに大きく口を開けて、粗野な呼吸をする。
「あ゙…ッ、気持ち悪いっ…!」
 月の中に吐き気がこみあげ、前段階のよだれがしとどにあふれた。たまらず顔を横に向け、嚥下しないようにする。
 魅上は月の様子を無視して、遠慮なしにピストン運動をする。いつも、月の中に入れると静謐で厳かな心地になり、魅上は忘我状態になった。魅上は無意識のようなうつろな意識のまま、ただ神が悦ぶ聖域をめがけて犯す。
「ぉえっ、ア゙、う……!」
 力強く揺蕩われる芳体が悲鳴をあげる。突かれるたびに、月の腹の奥底から押し出される声が出る。嬌声ではない。しかし、奥処を突かれるとオーガズムを感じる勝手な身体しんたい機構が、魅上によって月の中へすでに癖付かれており、月は苦痛なほどの快楽を意思とは裏腹に享受してしまっていた。一度射精させられた月の陰部は再度の勃起反応はないままに、たらたらと先端から体液を零し出す。
 憶え込まされ、感じざるを得ない暴力的な快楽と、自身の身体が屈服させられている絶望感に、月は何度も嘔吐えずいた。いやだ、こんな身体を認めたくない――そう思うのに、抗う気力が月にはなかった。その分、着々と魅上に体力を吸い取られているような気さえ感じた。
 魅上は幾度も抽送を繰り返しているうち、月の胸から顔、耳先にかけてまでが紅潮し、多量な発汗を起こしているようすを見届けていた。それはまるで彼の身体が紅く発光しているかのような印象を魅上に与えた。このようすは、月のドライオーガズムが近いことを魅上に知らせていた。魅上は息を荒らげながら、体位を騎乗位に変えようと月の腰から背中を持ち上げ、その身体の下に自身の脚を滑り込ませてから月の上半身を高く掲げた。
「ああっ……!」
 騎乗位になったことで、自重じじゅうにより魅上のペニスを奥深くにまで銜えた月が我慢できなさげな声をあげた。真っ赤な顔で目を瞑り、長い睫毛をふるわせ、薄くひらいた桜唇から白い歯を覗かせる月の姿が、瑞々しくとても美しいと魅上は改めて思った。
「神、イきそうですか」
 あえて月へ確認するかのような口ぶりで言ったものの、わかりきっていることだった。ふ、ふ、とした息遣いしかできない月の苦悶をうかべる表情を見て、魅上は胸を熱くする。その細い腰を掴んで少し浮かせてから、魅上は雄の猛りを下から突き上げて細かく打ち込んだ。
「いっ、い、ぃッ〰〰…!」
「どうぞ、神、さあ、イッてください……イッて……」
 ばつばつと肉を打ちつけ攻め立てる魅上へ拒絶をしたくとも、もはや声を出す余裕すら月にはなかった。脳味噌が浮遊感にぶるぶると揺れる感覚がして、目の前が、身体すべてが狂喜に痺れる。
「あッ、ア゙〰〰ッ……!!」
 月のアヌスが絶頂にふるえ、きゅうきゅうと魅上のペニスを締めつける。月がドライオーガズムに達したのを体内で感じとったので、一度魅上は腰をとめた。はっ、はっ、はっ、と小刻みに肺を収縮させながら、汗でぐっしょりとした前髪を張りつけて、月がふるえている。月の萎えている先端からとろとろと体液が流れてゆく。魅上はもう一度、激しく腰を律動させた。
「んっ〰〰…ァ、あ゙ッ!」
 再び月がかすれた声をあげて後ろで絶頂する。魅上は腰をとめる。月の体内はぐねぐねと魅上のものを締め上げ、その感覚にすら月は身悶えてしまうようだった。ふふ、と魅上は笑って再び腰を突き上げる。
 びくびくびくっとまた月がイッたので、魅上はまた腰をとめる。
「三度目」
 魅上がそう言いながら追撃ピストンすると、月がくぐもった声をあげて再度絶頂する。
「四度」
 魅上は何度もこの行為を繰り返した。繰り返すたびに月は終わることのない、射精を伴わないオーガズムの地獄を与えられ、喃語のような泣き声を出していた。ぱたぱたぱたっと全身が赤くなった月から汗が噴き出して、それは魅上の身体へ雨のように降りかかっていた。魅上は酔い痴れるように頬をゆるめ、幾度も月を執拗にドライオーガズムへ導く。その絶頂が十二度目に差し掛かるとき、魅上は月へ声をかけた。
「私の神として生きてください!」
 ぶるぶるっと身体を痙攣させて、月は泣きながらエクスタシーに身をゆだねる。魅上は月を見据えながら、動きをとめる。ようやく終わった責め苦に、月は懸命に呼吸を整えようとしていた。
「ぁー…、あー…っ、あぁ……」
「私の神として生きてください……」
 魅上は念入りな口調で再度月へ同じ言葉をかける。月は背を丸め、魅上の腹に手をついて、ぐったりとしてふるえていた。
「神……私はこんなに、あなたを悦ばせることができる……」
 魅上はきっとした目で表情を澄ませて言ったが、どこか達成感を得ているようなその態度は、雄としての能力を月に褒めてほしそうでもあった。
「ほかの誰にもできない……」
「し、つこい……も、いい……」
「認めてくれますか? 私を、私だけを、つがいの存在であると」
 魅上はなにか検事の取り調べらしく、月から言質を取りたくて仕方がないようだった。それしか魅上の不安の解消ができないのだろう、とは遠く重い意識の中で月は理解していたが、理解できないこともあった。『つがい……』それは雄雌一組みだから、生物学的に不可能な話だろうと感じた。だが、もう息をするので精いっぱいの月は、疑問の言葉を発するのも億劫で、ただ虚ろな目で黙って思考しているだけだった。
 月のそんなようすに感づいた魅上は自身の上半身を起こし、月の身体を抱きすくめる。結合部のうずまりが角度を変えたので、月は小さく苦しげな声を漏らした。魅上は黒目に力を集めながら、月を承服させようと語りかける。
「生物学上、肉体的に男女がつがいであることは理解しています。ですがそれは一般の人間の話であって、神と私の関係上においては、精神的にも肉体的にも魂的にも…――神と神の使徒がつがいであるべきでしょう」
 それが正しい姿です、とまるで理路整然とした説明だとでも言いたげな凛々とした態度で、魅上は狂人の独自理論を真顔で語っていた。あまりにも当然のことのように魅上が語りかけるから、月は自分の頭がおかしくなったような気さえ起こしていた。至近距離で射抜くように鋭い目に見つめられ、月は固まってその目から視線が離せずにいた。そんな月の驚いたような表情は、年齢よりも彼を幼く見せる。魅上は月が自分の話を彼の頭の中で咀嚼してくれているのか、理解してくれているのかわからなかった。いや、していないだろうな、と心の奥底で魅上は認めていた。とたんに込みあげて来るいやな不安感を払拭しようと、すっと華奢な輪郭を形づくる月の下顎あたりへ頬擦りしてから、這い上るようにちゅっとその唇へキスをした。
 そのまま月の身体をソファへ寝かせ、もう一度正常位になってから、魅上はぬとぬとと陰茎を抜き差しする。魅上は我慢汁を月の中で染み渡らせていたが、まだ射精をしていなかったので、硬度を保ったまま月の肉襞をぞりぞりと摩擦した。一旦落ちついていたのに再び身体を揺すられ、消耗しきっていた月はつらがった。
「いや、だ……! もう、おまえ、ほんといや……!」
「嘘です、絶対嘘、こんなに私を求める身体をしておいて、あり得ない……!」
 魅上はなにかむきになって月を叱責した。何故、こんなにも自分を認めないのかほんとうに月の態度に苛々した。揺さぶりながら、浮き上がる月の首筋に噛みついてマーキングする。神体に痕をつけることは、月から命令されずとも暗黙の了解のように魅上は心得ていたが、今回はそれを破った。月は首に与えられた刺激に肩をびくつかせて、目を見開いた。
「痕つけるなって……!」
「知りません」
 言葉に出して月の命令に背いたとき、魅上の中でぞくぞくとした不躾な快感が湧きあがった。だが、これは許されてよいはずだ、と思った。『だって、神が悪い――…』魅上は次々と別の首筋の箇所へも噛みついてゆく。噛みつき、唇で吸い上げ、赤い痕をつける。う、う、と唸りながら痛みに悶える月を横目に見やり、肌を重ね合い、粘膜を触れ合い、魅上は射精しようと動いた。
「もう出しますからね……! 神、キラの中に……っ!」
 ぐっと月の腰を持ち上げて、自分の好きなように肉棒を沈み込ませて、また抉り出す。月の神域は痙攣し、ひくひくと蠢き、自身を誘い込んで、心の底から気持ちが好かった。これは自分だけの聖域だと、魅上は確信していた。魅上に好き勝手されても、月の先端はまたとろとろと体液を零していた。
「ああ、神っ……神っ……!」
「ン、んっ、…う…!」
 魅上は月に身体を密着させて、その唇を貪る。ひどく切ない思いが込み上げた。どくんっ、と脊髄に鳥肌が立つような強い快感が走る。快楽の終末に、魅上は濡れそぼった棄て犬みたいにふるえながら、月の中に一滴残らず濃密な精液を射出した。