然るホテルの一室で、世界がキラ思想に傾きかけている最中、今後どうしていくのが更に効果的かを話し合い、だいたいの方針の程度が固まったので、じゃあ解散しようという流れに差し掛かったところだった。
「神はこのまま弥と籍を入れるのですか」
唐突に、この場から立ち去られないようにする為なのか、魅上が月へ質問を投げかけ足止めした。二人きりの部屋でこのように話し合いをするのはこれで6度目だったが、ミサとの事情について月へ個人的な質問をするという魅上の態度は珍しいものであった。
「まあ、そうなるだろうな。別に僕としてももはや断る理由もないし……」
月は思うままに魅上の質問に答えた。すると魅上は何も返事をしないので月は訝しみながらも、まあ魅上は性格的に変わった部分があるからとあまり気に留めず、じゃあ帰るぞ、と座っていた椅子から腰を上げようとした。瞬間、再び魅上が話を切り出した。
「……愛しているのですか? 弥を、特別」
魅上がうつむきがちに言うものだから、その長い黒髪が顔を覆い隠し、いったいどのような表情で質問しているのかが月には見当づかず、これは何が主旨の話なのだろうと疑問に思った。
「そう見えるか」
月のこの答え方を、魅上は反語だとも捉えたし、また誤魔化しであるようにも捉えていた。
「わかりません……私は、特定個人へプライベートな好意というものを持ったことがないので……」
なにか勿体づけた目をしながら、魅上は少し顔を上げ、数秒沈黙する。
「……私の中にあるのは、神への感謝だけですので」
「まあおまえはそういう人間だろうな」
魅上がぽつりと吐き出した言葉に、月は淡々と答える。そのようすに魅上はなにか釈然としなさげに、また、なにかを言いたげに手をまごつかせた。月はそんな魅上のようすに気がついたが、特段、何か言いたいことがあるなら言えというような促しをする気にはならなかった。自発的に話すのであれば聞いてやってもいいし、話さないのであればそれでいい、月はそう考えていた。そうこうするうちに、しばらくの間、部屋に妙な静けさが訪れた。
「……しかし……事実として……」
うやうやしく、魅上が沈黙を破った。
「事実として……確かに、弥は神の寵愛を受けていますよね」
寵愛、と月は魅上の言葉を繰り返した。そしてそれと同時に、魅上の言う事実として存在する寵愛が何を意味しているのかを悟り、口を開く。
「それってミサとの肉体的な関係を言っているのか」
魅上は月の目をまっすぐに見据えながら「はい」と答えた。魅上が自分とミサの性関係について、何か話したげであるのは理解したが、その話の続きを悟ることは月にはまだできていなかった。はいと答えた魅上がなんと話を切り出すのか、月はただ押し黙って待っていた。
やがて魅上はなにやらばつが悪そうに、目線をまごつかせた。なかなか話を切り出さない魅上に苛立ったようすで、月は眉をひそめる。
「なんだよ、なにが言いたいんだ?」
月はホテルの椅子にある肘置きを使いながら、こめかみあたりへ均整の取れた指を当て、魅上へ問いただした。前置きが長く、なかなか核心に触れようとしない魅上の話し方に、月は厳しい目線を向けていた。魅上は、月の整った顔を心苦しい気持ちで眺め、その厳しくも美しい瞳へおずおずと視線を合わせ、ついに口を開いた。
「何故……弥だけ神の寵愛を受けるのですか?」
「え?」
月は一瞬気が動転した。ここで言う魅上の寵愛とは肉体関係のことを指していたから、今し方の魅上の口ぶりは「弥とはできて自分とは肉体関係を結ばないのは何故なのか」と言っているように聞こえたからだ。月は顔には出さなかったが、逡巡していた。何度考えようにも、それ以外の言葉の解釈ができなかった。そんな月のようすを観取したらしい魅上が立て続けに、今度はもっと直接的な言葉を並べる。
「弥とは性的関係を持つのに、私と持たない理由はなんですか?」
完全に思考がフリーズし、月は固く口を結んだ。魅上にとって、魅上自身や月のことがどのように見えているのか、まったく想像できなくなった。ここで『いや、おまえは男だろ』と言えるような雰囲気は一切存在しなかった。無論、魅上だって自分が男であることは当然知った上での言葉であろうから、仮に斯様なセリフを言ったところで、魅上は知っていますとしか言いようがないのだから、言う意味はないだろうと感じた。が、なんと答えればよいかわからず、口にせずにはいられなかった。
「おまえと僕は男だが……」
「そうですが性別がなにか関係ありますか? キラへの信奉に」
月は魅上の答えた文意が汲み取れないでいた。さっきまで話していた肉体関係の話と、今、魅上が口にしたキラへの崇拝心が、何故さも関係あるかのような答えぶりなのか、その論理の組み立て方が到底理解に及ばなかったのだ。
「いや、そうじゃなくて……おまえって、男がいいのか? 恋愛的なものの対象が……」
「何故そうなるのですか?……そういうことではないです……先ほど申し上げたように、私は特定個人へプライベートな好意というものを持ったことがないですから。それは誰にでも、どのような性に対してもです」
月は再び閉口した。特定の誰かへ恋愛感情を向けたことがないと紡ぐその口で、事実、魅上は月へ肉体的な関係を迫るような言葉を紡いでいた。矛盾していると感じたし、その矛盾に気づかない、いや矛盾していないと考えているらしい魅上特有の思考回路は、月の価値基準から見ると理解の範疇を超えているものだった。根本的な部分で価値観の軸がまるで違う――月はそう察した。
そんな月のようすを窺うことなく、なにか一種特別なスイッチが入ったみたいに、魅上は淀みない話し振りでさらに心情を連ねはじめる。
「私は正直……これ以上ないほど、キラに尽くしているという自負があります。弥も無論、そうであることは理解しますが、私の働きぶり……神への忠誠が弥に劣っているとは思えない。私と弥は同等なキラの片腕同士だというのに、何故私と弥の扱いに違いがあるのでしょうか。強いて言えば弥は二度、あなたのために命を削っている……そういうことですか……? 確かに弥のその忠誠心には感服するものがあります。しかし、私だって所有権を放棄し、その後、再び所有権を手に入れたならば、必要とあらば、弥と同じく再度目の取引を行いますよ。神のお役に立てるのであればそれくらい造作もないことです。このように口にしているだけの私と、実際に二度取引を行った弥の間では、客観的に明確な隔たりがあることは承知しますが……とはいえ私は本当に……そのような所存で……それでも信用できませんか、私の、神への想いを、お疑いになりますか」
魅上は月の胸中が心底理解できないといった、どこか非難めいた表情を浮かべながら、月の双眸をしげしげと見つめていた。魅上のそのまなざしは、責任の所在を問うかのような厳しい色合いを含んでおり、月はなにか詰め寄られている心持になった。
「私には何が足りないのですか、神」
切なさと怒気を孕んだ声音で、魅上がかしずくように跪いて月へ迫った。『なんだ……こいつ、ミサと張り合っているのか』そう理解した月は、何時ぞや高田清美と密会中に、高田が「弥さんはあなたの何だったの?」と迫って来たときの記憶がよみがえっていた。『男である魅上にも、こんな女のように面倒な部分が出て来るなんて……』幾分か、魅上は恋愛感情ではないと主張しているが、月にとっては似たり寄ったりだと感じ、嘆息した。月の呆れたため息に魅上は顔を上げ、彼の言葉をじっと待っていた。
「……”特定個人へプライベートな好意を持ったことがない”……僕も同じだよ」
「……では、神は……弥を愛しているわけではない……?」
月はなんと答えればよいかわからなかった。ミサへ対して情が欠片もないと言えば嘘になる。Lとの闘いの際は、レムを含めミサのことが非常に邪魔な存在であると思っていた。彼女はいずれ、己が殺す子だろうと。しかし、キラにとって多大な障害であったLとレムを葬り、その後Lの息がかかったニアやメロに再び邪魔立てされたとき、ミサの目は非常に役に立った。そして、ミサから魅上へ所有権を移し、第2のキラとしての記憶を失ったミサからノートの秘密が漏れる危険はなくなった。Lもニアもメロも、SPKも日本捜査本部も存在しなくなった今、世界がすでにキラによる新世界へと傾いている。そして、第2のキラとしての記憶がないままに、夜神月がキラである、という話をミサに聞かせれば二つ返事で受け入れ(むしろサイコーだと喜んでいた)、女優業は引退したが衰えることのないその愛らしい美貌を駆使し、現在はキラの広告塔として活躍を見せている。世界がこのようになった以上、特段ミサを殺す理由はいつの間にかなくなっていた。そして、なによりミサに残された寿命が少ないことも理解していた。だから、どうせ長くは生きられないのだから、ならばミサへの餞として彼女の最期の瞬間まで自身の隣に置いておくのも、彼女が結婚を望むのなら、別に籍を入れてやってもいいと思った。既に、月にとってミサを生かすことに何の不都合もない状況下だったのだ。
だが、個人として愛しているかと言われれば愛していない、と感じた。月に、人生の中で誰に対しても恋愛感情ないしそれに近しい感情を持ったという自覚はなかった。キラを邪魔する者を排除し、神として君臨するという使命以外に、心が燃え立つことはなかったのだ。
「…………」
だから、何と言っていいかわからなかった。最低限キラの隣に立つ者としてキラの云う事を第一に聞き、立場を弁えることができる相手ならば、誰と籍を入れようが特にこだわりはない。だから愛してはいない、しかしミサに対して同情のような気持ちはゼロではないのも確かだった。月は沈黙したままで、なにか答えることをしなかった。そんな月の沈黙を、魅上は自身の質問の肯定と捉えた。つまり「神は弥を愛していない」と魅上は解釈した。
「そうですか……ならば……神が弥に個人的な感情がないのであれば、私と弥は同条件ですよね。しかし弥は女だから寵愛を受け、私は男だから、神の寵愛を受けない……そういうことでしょうか」
『ああ、そんな話だったな』と月は目の前で自分をある種求愛する男の姿を、目を細めながら観察した。そして『まずいな』と感じた。このままだと、魅上が要求することなんて、何であるかは明白だった。一瞬間、月の頭の中に性交には至らない、ペッティングでもする様が思い起こされた。それが限界であった。そしてすぐに、やはり男同士での性的な接触は敬遠したいと感じた。趣味ではないし(そもそも女と寝ることすら趣味ではなかったが、これはもう仕方がないものだと割り切っていた)、男と行為をして本当に女のようにこちらへ入れ込む効果があるのか、月の経験上情報がなく、確信が持てなかった。自分は誰に対しても入れ込むというような、そのような気持ちを持たない。だから自分の考えに似ている部分がある魅上も、きっと同じ感覚なのだろうと、月は今この瞬間まで勝手に思い込んでいた。女のように入れ込むのであれば行為にも多少は価値を見出せるが、男である魅上にそのような感覚があるのか甚だ疑問だったし、魅上の要求を吞むことが無意味に感じた。
どうにかこのまま魅上が話を続けないように、要求を提示させないようにしなければと直感した。直感したが、なんと言えば魅上が納得するのか思考が追いつかないでいた。
「そうかもな」
「では、私が女であれば、弥と同じ立場になれるのでしょうか?」
「……僕は籍を入れるなら、その相手に操を立てるべきだと思っている」
月は魅上の質問をはぐらかしつつ、内心で『嘘だ』と自身の言葉を否定していた。本来の、ノートを拾う前の自分はこういう考えを持っていたが、今となっては仮にキラとして必要に迫られれば他の女とも関係を結ぶ可能性がある、となんとなく自分に思いを馳せた。これは、魅上を牽制するための嘘の言葉でしかなかった。
「……じゃあ、やはり……神は弥を特別視している……と……」
魅上の声音が低くなった。ショックを受けたようだった。月はぎこちない心持で、魅上の目を見た。瞬間、その咎めるような赤い眼光を走らせる目を見て、出逢った頃のミサの目を思い出した――そう、この目は嫉妬している。
月はぎくりとした。ミサはこの目で「他の女と付き合うならその女を殺す」という宣言をした。この目をしている者は、どういう行動に出るかわからなかった。理性で動かない可能性がある、そういう危険な様相を呈した目をしている。まさか魅上が――とも思ったが、魅上がこちらにぶつけているのは恋心に等しいとも月は思った。『魅上がこういう感情を僕に持ち始めたということは、逆に言えば、望みが達成されない場合、何をするかわからないリスクがある……男の方がプライドが高い、だからプライドを傷つけるのは面倒だ。特に魅上、こいつがどういう形でリスクを表出させるか読めない……僕を殺すことはない、殺すならミサだろう。しかし、失意から離反……いやなにか裏切りを……裏切るくらいなら死を、それが魅上だと思っていたが、こいつの僕を責め立てるような表情から見るに、こいつの中ではこれはまんべんなくミサと魅上を愛さない僕が悪いことになっているらしいから、先に裏切ったのは僕であるとさえ思って何か意趣返しのようなことをする可能性が……いやそうなると僕がこいつにとっての理想の神ではなかったという理由付けで、神のふりをした悪人だと僕へ責任転嫁し、殺すような真似をしても魅上ならおかしくないかもしれない……こいつの話を聞く限り、こいつは少年のころから自身の神を信奉し、それを後のキラ、僕に当てはめ、同一視していた……』月は段々と魅上へ苛々とした感情をもたげていた。『くそ、こいつがこんなことを言い出さなけりゃよかったものを……』一瞬間、魅上を排除する考えが月の頭をよぎる。『いや、だめだ。死神の目は必要……こいつはまだ手放せない……』思考がぐるぐると様々な道筋を提示する。『今はひとまず、こいつにとっての神でなければならない』月はきゅっと一度唇を結び、そして言い放った。
「キスだけでいいならしてやるよ」
月にとって、これが現状の精いっぱいの最善策であった。魅上と肉体関係を結ぶのは、実施するのは抵抗があると感じた為、これが妥協点であった。魅上は跪きからばっと立ち上がり、月の両肩を力強く掴んだ。力の強さに月は僅かに瞠目した。静かではあるが、どれだけ魅上が昂奮しているのかが理解でき、少し身体をこわばらせた。
「良いのですか」
再確認するように念を押してくる魅上の言説に『だめだと言える選択肢が僕にあるか』と月は内心顰蹙しながら、無表情で「いいよ」と答えた。
魅上は昂奮でふるえる手を月の両肩に乗せたまま、上半身を月に近づけた。そして、自身の唇を月の唇に重ねる。特に何の躊躇もなく行われた口づけに、月は少しくらい遠慮でもしろよと感じた。
静かな口づけであったが、魅上の息はずいぶんと上がっていた。魅上は自身の心拍が急激に高まっているのを感じながら、目をつぶっている月の瞼や睫毛の形をじっと凝視していた。目にかかる色素の薄い髪色が、彫刻のように整った鼻筋が、肌の細胞が、彼を構成する要素ひとつひとつが、すべて細かく計算しつくされたような、正確に美しいものであると感じた。そのまま90秒ほどが経過した。想像より長い口づけに月の眉間へしわが寄りはじめ、うっすらと月の瞼が開かれてゆく。その動きを魅上はじっと、唇を重ねながら観察していた。
「っ!?」
瞼をあげた月が魅上の瞳とかち合い、驚いたように瞬間的に目をぱちぱちとさせ、ばっと頭を後ろに引いた。
「おまえ、なに、目開けながらするものじゃないだろ……」
月の言葉を聞いているのか聞いていないのか、魅上は後ろに下がった月の後頭部へ手をまわし、もう一度自身の方へと引き寄せた。
「まだ……」
魅上がそう言って、再び月と口づけを交わす。月は反射的に目をぎゅっと瞑っていた。『まだ終わりじゃないのか』月はそう思い動揺した。存外強い力で頭を固定され、また、このように熱烈に男から情愛をぶつけられることは初めての経験であり、未知の感覚にどこか恐怖に近しいものを覚えた。自分の方が立場が上だと思っている、しかし、頭を掴まれている感触だけで、魅上に力で勝てないということも理解できた。月は石像のように固まった。
『神も緊張している』魅上は月の筋肉の動きを感じ取りながら思い巡らせた。次は目を瞑って、月のことを考えた。恐る恐る、ゆっくりと自身の口を開く。それに連動させるように重なっている月の唇も少し開かせる。そして、おずおずと舌先を出し、月の唇の間へ差し込むと「んっ」と嫌がるように月が声をあげた。それは制止させる声音を含んでいた。魅上は一度唇を離し、月の黒く美しい瞳を厳しく見据えた。
「だめですか」
「…………」
「これまで弥や高田、他の女ともしているでしょう」
「……いや、あんまり、僕はこういうキスは……少なくとも僕からしたことはない。しなくても相手は僕とキスするような関係になれたという気持ちだけで満足してくれている……」
自分より潔癖な気のある魅上が、このようなキスを試みようとしたことに月は驚きを隠せなくなっていた。対して魅上は、月の答えを聞いて少し安堵したような、優越感のような、なにか快さを感じていた。嬉しさかなんなのか正体が掴めなかったが、ふしぎと、心が蘇生するような気配を魅上は胸いっぱいに観取した。
「でも口づけにも色々ありますよね」
『キスならしてやると仰ったのは、あなたの方でしょう』と言いたげな、どこか詰問するような色を含ませながら恬として答える魅上から、暗に色々なキスをしようと言われているような気がした月は、なにか強い羞恥を感じ出した。
「おまえ、本当に恋愛したことないんだよな……」
「ええ、ただ知識としてあるだけです」
「…………」
「それで、だめですか? 神」
魅上は月に続きを催促した。その魅上の目が、声が、全身で求愛を物語っているようで、また同時に『だめとは言わせない』という圧を感じる鋭い目つきで月を射抜いていた。月は答えに窮した。魅上に求められることが、非常に面倒に感じた。男にはこういう部分がないから配下として適任だとすら考えていたのに、今日でその考えは打ち壊された。断りたいが、断れない。自分の方が立場が上なのに、何故こいつの為にこんなことをしなくてはならないのか、そういうことを考え出すと、腹立たしい気持ちや言いようのない不公平さに悶々と嫌な感情があふれだした。
黙りこくる月を見つめていた魅上が、しばらくして、じれったげに再度、月と唇を交わした。同時に月の腕を引っ張り上げ、彼を椅子から立たせて、その身体へすり寄る。
月の下唇の丸みをはむはむとついばみ、次に上唇も同様に愛撫してから、口を開け、舌を出し、その口内へ舌を入れた。月の肩がびくりとふるえた。魅上はそんな彼の身体を抱きしめるように引き寄せ、構わず彼の舌と己の舌を絡ませる。だしぬけな嫌悪で月の舌はこわばっていた。が、月は抵抗しなかった。時間が経つにつれ慣れてきたのか、ほどなく月の舌にあった緊張感はなくなり、舌の筋肉が柔らかくなっていった。ただ、それは受け入れているわけではなく、なにやら諦観しているふうにも思えた。
『気持ちいい……』舌先をまわし、動かし、絡ませ、水音を立てながら魅上は素直にそう思った。多幸感にぼうっと霞む思考のなかで、これは恍惚状態だと確信した。はじめて感じたこの感覚は、神との交感によって引き起こされた、エクスタシスの感覚そのものだろうと理解し、魅上はこの行為に夢中になった。ちろちろと舌先だけを絡ませたり、舌の根の方から深く絡ませ合ったり、神の頬の裏をさぐったり、上顎をくすぐったり、歯列をなぞったりして、夢中に舌を絡ませ出してから気づけば20分ほどが経過していた。ふ、ふ、と月は短く、苦しげに呼吸をしていた。魅上は深い呼吸を早く繰り返していた。
月はうっすらと目を開け、浅い呼吸の中で魅上の閉じられた目を眺めた。それから長い黒髪の間から窺える、男らしい眉の形を見やった。『魅上……こいつ、こんなにがっついて来るなんて……いや、しかしミサや高田にするみたいに、こっちが何かリードしなければならないのかと思っていたが、こう、がっついてこられると僕が我慢すれば済むのだから、ある意味では楽なのかもしれない……』普段とのギャップを感じる魅上のようすに圧倒され、月は尻込みしていた。魅上の扱いが面倒なのか面倒でないのか、段々とその評価が混乱して来る。『もっと禁欲的な奴だと思っていたが、こいつのキス、なんなんだ……僕が想定していたものと全然違う……長いし、なんか……変に技巧的と言うか……知識としてあるなんて言っていたが、こんな知識一体どこから仕入れて来るんだよ……』魅上は抱き寄せている月の二の腕あたりを撫でさすりながら、月の口内をひたすら愛撫していた。その愛撫を受けながら、月はある種冷静に魅上を思いやった。魅上のキスは、なにかひどく性的なキスだと思った。そう――これはキスというより性行為の一種であると感じたのだ。
月がそう思い至るのと同時に、二の腕をさすっていた魅上の手は、徐々に月の腰付近へまわされてゆく。
「!」
月の腰が、なにか危険な信号を感知したみたいに弓なりに反った。すっかりお互いの唾液が混じり合ってしまっていた口内から、ようやく魅上は舌を引き抜く。
「細いですよね、神のお身体は……」
ずっと思ってました、と魅上は陶然とした表情で付け加えながら、形の好い細腰を撫でつけて囁いた。なにか、好色を帯びた眼光が宿っていた。月の背筋に寒気が走った。
「魅、上……っ」
密着されている腕の間から離れようと、月は魅上の胸元あたりを押し返すそぶりを見せたが、抱き留めている魅上にぐっと力を籠められ、抑え込まれる。月の中に焦りが生じた。すっかり密着させられてしまった月は、スーツ越しでも魅上の昂った体温を感じる。そして下半身の感覚で、魅上が勃起していると理解した。警鐘のようにばくばくと心臓が脈打った。
「神、だめですか……」
いやに熱っぽい声で、魅上が再び求愛する。
主語はないが、言外で「キス以上をしてはだめですか」という意味で語られているのは明白であった。「キスだけならいい」と伝えたはずなのに、何故それ以上を求める言葉を吐くのかと、月は沸騰したような頭の中で苛立ちきった。ただ確かに魅上照という男は月がノートを託す前から、こういう種類の押しの強さがある男でもあった。キラに認知されるための数々の番組出演だって、キラに選ばれてからの判断だってそうだった。そういう気質があったからこそ、月は魅上へ目をつけることとなり、選んだのだろう……そう、この男は自分が選んだのだった。
斯様な他事を考えながら、そもそも魅上が自分に何を求めているのか、月は真意を測りかねていた。最初は、ミサと張り合っていたから側室のようにでも扱ってほしいのかと思った。しかし、先ほどのキスの仕方といい、今の求め方といい、魅上が月へ送る目つきや仕草が、雄が獲物を狩るときのような、男性原理に基づく一種独特な攻撃性に塗れているように感じはじめていた。
だめだ、と言いたかった。しかし、それよりも先に聞かずにはいられない言葉が月の口から出ていた。
「僕を……抱きたいのか」
声がうわずったような気がして、月は侮辱的な思いに駆られ、顔に熱を走らせた。魅上の返事までが、ひどく長い沈黙の時間に感じ、居心地が悪かった。
「はい」
魅上は恥ずかしげもなく、強い声音で言い切った。瞬間的に月の頭の中がまっ白になり、体面が保たれないような恥辱感が押し寄せ、表情筋がわなわなとふるえたのがわかった。魅上の要求へ「そうか、じゃあそうしよう」とはとても言えず、月は言葉に詰まっていた。絶句していたという表現のほうが近いかもしれない。
「だめですか……神……苦しいです」
『苦しい?』切迫した魅上の訴えを、月は内心で嘲笑した。言葉を畳みかけて来る魅上の姿が心底腹立たしく感じた。苦しい思いをさせられているのは自分のほうだ、と月は思い、重ねて冷笑がこみ上げる。何故、貴様が神と崇める存在である自分へ選択を迫り、こちらを苦しめた上で「苦しいのは私のほうです」と言わんばかりの態度を取っていられるのか、考えれば考えるほど思考が混乱し、収拾の見込みがつかなかった。キラに仕える身であるのならば、魅上の立場として、そのような私情は墓場に持っていくべきだと月は判断していた。しかし魅上からすれば、この私情は、そもそも月が不平等な扱いを魅上にしたせいだと思っている。ゆえに、月にしか解消できない、救えない苦しみであると。キラであり神であると信奉する者へ、むしろ、この男は「神だからこそ、私を救うべきだ」と語りかけているのだ。
つまり、こいつは神ならば私に身体を差し出してくださいと言っている――。
「神……」
切なげに呼ぶ声に虫酸が走った。下手に出ているようで、なんと狷介でエゴ丸出しなのだろうと怒りを通りこして呆れてしまう。『魅上……優秀な己に感謝しろ。そうでなければおまえはもうこの世にいない』月は内心で毒吐きながらさらに思考する。『いいや、違う、こいつは自分が僕に頼りにされているであろうことまで計算して、要求しているんだ……』それは確信に近かった。『慢心したものだな魅上……ふん、まあいい、こいつの思い通りになるのは癪だが、魅上のこれまでの言葉からこいつが僕に気があるのは間違いない。ここで断って不満を持たせるよりも、ここはこいつの気持ちを利用して僕に入れあげさせておけばいいんだ。その間に魅上に匹敵する配下を見つけられれば……それで問題は解決する。僕ならできる……』月は意を決したように、一度こぶしを強く握った。動揺を悟られないように、頭の中を整理する。自分は、こいつを受け入れなければならないと、心の奥底からその決意をする。
「ミサと同じように、僕と親密な関係を結べられれば満足なんだな」
「はい」
「どちらにせよおまえと結婚はできないぞ、それは法的にも……まあ世界はキラが法になりつつあるが……僕はその辺の改革は考えていないし」
「そういう形式的なものは求めておりません……私はただ、神の寵愛を受けたいのです」
寵愛を受けたいとは言うが、魅上は月を「抱きたい」のだと言っていた。魅上にとっては、それが寵愛を受けるという意味なのかと、月はなんだか気恥ずかしさを覚えた。
「僕と関係を結びたいのなら、ミサに黙っていると誓え。おまえたちが揉めたら厄介だ」
「はい、誓います」
「……わかった……まず、何をすれば……」
どうすればいいか指示を仰ぐようなまなざしをする月を見て、魅上はふいに、彼が年下の青年であるという事実が心へ沁み入ってきた気がした。敬虔なようすで月の手を取り、魅上は勃起しきった自身の下腹部へその手を持っていき、布越しに触らせた。月の手に緊張に走り、骨張ったのが魅上へ直に伝わっていたが、構わず熱を込め、ぐっと月の手を握り続けた。
「私へ触ってほしい、私も神へもっと触れたい……」
布越しでもわかるほど硬度があり、また大きさもかなり大きめであると理解できる男性器の感覚が手のひらから伝わり、月は体裁が悪そうにしたあと身体全体に熱を帯びさせた。平静を装いながら、わかった、と小さな声で呟いて「まずはお互いシャワーを浴びてからにしよう」と提案する月に魅上は従った。